こんにちは!
10月1日、北海道日本ハムファイターズ斎藤佑樹選手が現役引退を発表しました。
プロ生活11年、通算88登板で15勝26敗という成績でした。
とても話題性があり私にとっても少年時代の憧れの選手の引退ということで、このニュースを聞いたときは衝撃を受けました。
ということで本日は誠に勝手ながら、私の目線で斎藤佑樹選手の野球人生を振り返っていきます。
あまり斎藤佑樹選手のことを知らない方にもいかに素晴らしい投手だったのかが伝わるように書いていければと思います。
それではどうぞ!
高校・大学での華々しい活躍
今から15年前になりますが、2006年夏に早稲田実業のエースとして甲子園大会を制した姿は今でも鮮明に思い出されます。夏三連覇を狙った駒大苫小牧との決勝再試合は今でも語り継がれる名試合です。
ちなみにそのときの斎藤佑樹選手の夏の甲子園成績は以下になります。
- 1回戦 vs鶴崎工 9回1失点 スコア:13-1
- 2回戦 vs大阪桐蔭 9回2失点 スコア:11-2
- 3回戦 vs福井工 9回1失点 スコア:7-1
- 準々決勝 vs日大山形 9回2失点 スコア:5-2
- 準決勝 vs鹿児島工 9回無失点 スコア:5-0
- 決勝 vs駒大苫小牧 15回1失点 スコア:1-1
- 決勝再試合 vs駒大苫小牧 9回3失点 スコア:4-3
記憶では1回戦は大差が開いたために9回は別の投手に交代したので完投扱いではないですが、その他の試合は全て完投でした。
しかも1回戦は交代した投手がアウトを取れずに再び斎藤投手が登板したため、甲子園での全アウトを取ったのは斎藤投手ということになりました。
その結果として残した投球回数69イニングというのは、今でも夏の甲子園最多投球イニングとして記録が残っています。
驚異的な数字です。
仮に1回戦から決勝まで全て9回完投しても54イニングです。
延長戦や再試合がないと超えることができません。
さらに最近では球数制限などが導入されているので、おそらく今後この記録は抜かれることがないと思います。
夏の甲子園記録の投球イニングを記録するなど無尽のスタミナを誇った
主な対戦相手
2回戦大阪桐蔭の4番、当時2年生ながら既に怪物と呼ばれていた中田翔選手を4打数無安打3三振に抑えています。第1打席のインハイ高めの真っ直ぐで空振り三振させたシーンはとても印象的でした。
第1打席では堂々としていたように見えた中田翔選手が徐々に小さく見えていったのを覚えています。それくらい斎藤佑樹投手が中田翔選手を圧倒していました。
準決勝では当時代打で雄叫びをあげるということで人気を集めていた鹿児島工の今吉晃一選手を高めの真っ直ぐで三振にとったシーンがありました。
クールな斎藤選手と熱い今吉晃一選手の対決は見ごたえがありました。
さらに決勝では田中将大投手との投げ合いを制して、早稲田実業を夏の甲子園初優勝に導きました。
再試合の最後には打席に田中将大投手を迎えて三振で締めくくるあたりも
"もってますね"。
2006年の甲子園世代は、いわゆる華の88年組と呼ばれています。
斎藤佑樹選手はその世代を代表する選手として大きな話題を作ってくれました。
当時のハンカチ王子フィーバーは凄くて、ハンカチで顔を拭く仕草は私も真似をしていた覚えがあります。
早稲田大学に進んでもその人気は衰えず、東京六大学野球リーグでも次々と記録を作りました。
大学日本一にもなり、高校時代ほどではないにせよ圧倒的な人気を誇っていた印象です。
まさにアマチュア界の最高投手という評判で、2010年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団しました。
プロに入ってからの苦悩
高校・大学と華々しい活躍をしていた斎藤佑樹投手ですが、プロに入ってからは苦しい時期が続きました。
プロ入り1,2年目にはそれなりに一軍登板もあり勝利できていたものの、結果を残せないもどかしさからか2年目のオフに投げ込みを続けているときに商売道具である右肩を怪我してしまいました。
一度怪我をしたことで感覚が狂ってしまったのか、その後本来の素晴らしい投球に戻ることはありませんでした。
怪我をした以降のシーズンではわずか4勝という成績に終わりました。
チームでは後輩として、今やメジャーで大活躍している大谷翔平選手が入団してきて2016年には日本一になるものの、斎藤佑樹投手は目立った活躍ができず悔しい思いをしていたと思います。
ちなみに甲子園で対決していた中田翔選手が日本一時のチームの4番バッターでした。巡り合わせって面白いですね。
そしてその後も怪我に苦しみ、最近ではまっすぐも130キロ代にまで落ちてしまっていました。
そして10月1日、11年のプロ生活を終えるという決断を発表しました。
こうしてみるとプロに入ってからは見せ場が少なく感じます。
あれだけ甲子園を沸かせた斎藤佑樹投手ですら通用しないというのは、いかにプロが高いレベルでの競争をしているのかが分かります。
プロ野球の世界では怪我に苦しみ結果を出せずに引退を決断
マー君こと田中将大投手とのライバル関係
斎藤佑樹選手とライバルだと言われ続けてきた選手がいます。
現楽天イーグルスの田中将大投手です。
高校時代に夏の甲子園決勝で再試合の熱戦を演じたことでそういう扱いを受けていたわけですが、これが斎藤佑樹投手にとっては凄くプレッシャーになっていたのではないかと思っています。
田中将大投手は高卒でプロに入り、斎藤佑樹選手がプロに入るまでの4年間で既に46勝を積み重ねていました。
さらに斎藤佑樹選手がルーキーだった2011年には19勝で最多勝を獲得。2013年には24勝0敗1セーブで楽天イーグルスを日本一に導きました。その後は海を渡りニューヨーク・ヤンキースで6年連続で二桁勝利など球界を代表する成績を残し続けているレジェンド級の投手です。
それに対し斎藤佑樹選手は2011年ルーキーで6勝6敗。2012年シーズンには開幕投手を任せれて最初の頃は良かったものの、徐々に打たれ始めて結局5勝8敗。その年以降はほとんど勝てずに結局通算では15勝となっています。
世間から注目を浴びてなおかつ大投手と比べられることで、自分では意識していないつもりでもどこかで歯車が狂い本来の自分の投球を見失ってしまったのではないかと思います。
そういう環境の中で11年間プロで挑戦し続けていた姿にはアッパレです。
私の個人的な気持ちですが、最後に田中将大投手との投げ合いを見たいなと思っています。
引退後が注目されており、良い指導者になるのではないかというような話も言われています。
華々しい活躍をした経験もありますし、怪我で思うように結果を出せなかった経験もしているため、そうした経験を伝えて良い指導者になってほしいです。
まとめ
本日は斎藤佑樹投手の野球人生をお伝えしてきました。
野球をあまり知らない方でも名前は聞いたことがあるような選手で、そのような選手が引退されるのは寂しい気持ちです。ですがまだまだ33歳ということで今後の指導者としての活躍に期待したいですね。
読んでいただきありがとうございました。