競馬などのギャンブルは一般的に勝てる可能性が相当低いと言われています。
それは売上から胴元がお金を貰ったうえで、残りのお金をギャンブラー同士で争うため当然のことです。
しかし競馬依存症時代の私はそのことを理解したうえでも、自分だけは勝てるだろうと本気で思っていました。
自分は特別な存在だ
依存症時代の私はこのように全く根拠もない自信に溢れており、競馬の勝負に挑み続けていました。
その結果としては皆さんご存知の通り多くの負けを重ねていきました。
そして総額500万円を失ったところでようやく、競馬というものでは勝てないんだということに気付くことができました。
本日は私が競馬に負けたことで、自分は特別ではないと気づいていった心情の変化をお伝えしていきます。
自分は特別?
私は特別な存在ではない
このことに私は、競馬で圧倒的に負けたことによって気付かされました。
競馬での底付き体験をするまで、心のどこかで自分は特別なんだと思いながら生きていました。
自分は大抵のことなら努力しなくてもできる
そう思っていた背景には、小さい頃に大した努力もしていないのに成功体験を経験したことがあると思っています。
小さい頃は自分が努力しなくてもできるような得意分野ばかりやっていたんですが、それで全部できるものだという勘違いをしていました。
人生において色々なことを経験していると、自分ができないことに必ずぶつかります。
そこで自分ができないことに対してできるようになろうと努力して乗り越えていくものです。
しかし自分が特別な存在だと思っていると、物事に対して楽観的に考えどうせできるだろうと思ってこうした努力をやらなくなります。
できないということに気づいても、これは自分には向いていないんだと現実逃避をして努力してきませんでした。
自分は人生の主人公であるという気持ちは大切ですが、周囲よりも優秀で特別であるから努力しなくてもよいという気持ちは成長の邪魔になります。
競馬に負けたことで自分は特別な存在ではないのだから、コツコツ地道に頑張ろうという気持ちになりました。
自分の無力さを知ることで努力できる
努力の重要性
自分が特別ではないと理解できたことで見える世界が広がりました。
特別ではないからこそ、他の人よりも努力を重ねて秀でる部分を作っていこうと思うことができました。
今は特別ではなくても、努力をして特別な存在になることは可能です。
誰しも生まれたときは何もできない赤ちゃんでした。
それが生まれて歩けるようになり話せるようになり色々なスキルを習得していきます。
これは子ども時代だけでなく、大人も同じなのです。
それなのに多くの大人は社会に出てから成長することを諦めてしまいます。
自分の可能性はこの程度である
これからやっても大きな変化はないだろう
このように過去の経験から自分の可能性を勝手に決めてしまっているのです。
これは非常に残念でもったいないことです。
この年齢で自分が努力できていないということに気づけました。
これから先はまだまだ長いです。
少年のような心で、自分のできない領域をできる領域に変えていけるように努力をしていこうと決めました。
積み重ねるしかない
私は競馬で多くの時間を失いました。
しかしそれを憂いても過去は取り戻せません。
特別な存在ではないのだから、特別な存在になるために自分の個性を磨いていくしかないのだと決意しました。
私の場合はたまたま競馬で大きく負けたことをきっかけに気づくことができました。
自分の無力さを認めるのは嫌でしたが、それゆえに周囲よりも努力していかなければいけないという気持ちになっています。
競馬をしていたのも、自分は特別で勝てるはずと思っていた部分があったからだと思っています。
『ギャンブルは勝てないと言われているけどオレが勝てることを証明してやる』
そんな気持ちを抱いていたのです。
結果としてギャンブルを通して、負けを認め自分が無力な存在であることを自覚することができました。
今のままでは自分としても消化不良のため、これから自分の行動を積み重ねてできることを増やしていこうと思いました。
今できることは努力を積み重ねて自分のレベルを高めていくことに集中することです。
まとめ
自分は特別だと思っていた私を目覚めさせてくれたのは競馬でした。
これまで自分ができないことからは現実逃避をしながら生きてきましたが、自分が平凡な存在だからこそ周囲よりも努力して特別な存在になることを目指そうという考えになることができました。
もしかしたら自分だけは運良く勝てるかもしれない………
この気持ちを少しでも抱いていることが依存症克服の妨げになるのです。
運に頼るのではなく、自分で行動して自分が変化して目の前に現れる結果を変えていけるようにしていきましょう!
読んでいただきありがとうございました。